2009年5月23日(土)、24日(日)の2日間、京都大学吉田南キャンパスで、第60回関西社会学会大会が開かれた。
このキャンパスで社会学関係の学会大会が開かれるのは、1990年秋の第63回日本社会学会大会以来、19年ぶりのことである。当時私は、文学部社会学研究室の助手になって間もない頃で、ホスト校の裏方・実行委員会の末席の一員として、先輩の助手二人とともに会計を担当し、忙しく走り回ったことを、懐かしく思い出す。
このキャンパスがまだ「教養部」構内であり、今回の会場となった吉田南総合館がまだ「A号館」と呼ばれていた当時とは、キャンパスの建物や風景はずいぶん様変わりしたが、昔も今も、学会大会という場が、研究者にとって、ギデンズのいうところの〈顔の見えるコミットメント〉――face to face の状況での信頼関係の確認と更新――の場であることには変わりはない。
そして、そうした場とは、やはりギデンズがゴッフマンの概念を援用しながら述べるように、「舞台上」のパフォーマンス――研究報告やシンポジウム――と「舞台裏」のパフォーマンス――実行委員会やアルバイト院生たちの裏方仕事――との緊密な連携によってはじめて成立するものであることも同様である。「舞台裏」の人間は文字通り黒衣に徹し、「舞台上」のパフォーマンスがスムースかつ効果的に進行するよう、支えつづけなければならない。その意味で、「舞台上と舞台裏との境界管理は、専門家的技能の真髄の一部をなしている」(A.ギデンズ『近代とはいかなる時代か?――モダニティの帰結』松尾精文・小幡正敏訳、而立書房、1993、109頁)。
さて今回、私自身もホスト校の教員の一人として、久々に実行委員会の一員となり、19年前と同じく会計を担当することになった。
学会大会の話に限らず一般に、こうした「舞台裏」のパフォーマンスは、その性質上当然のこととして、かつてはあまり表面に出て一般の関心をひくことはなかったのだが、最近では、たとえば劇場やコンサートホールのバックステージツアーの企画や映画のメイキングビデオなどにみられるように、「舞台裏」が「舞台上」に引きずり出され、商品化されるというケースも少なくないようだ。
もちろん学会大会の「舞台裏」などは商品にはなりようがないが、毎年、1年中どこかの大学等で、さまざまな学会の大会が開かれていることを考えると、こうした「舞台裏」情報についての潜在的な需要はかなりありそうにも思える。財政的に十分に余裕のある学会であれば、裏方仕事を業者委託でまかなうという選択枝もあるのだろうが、幸か不幸か、わが関西社会学会にはその選択枝を取る余地はなかった。
というわけで、今回、実行委員会の会計担当者として見聞した「舞台裏」のあれこれについて、私のごく狭い経験の範囲内ではあるが、思いつくままに綴ってみることにしたい。
なお、大会運営の仕事は、ホスト校の実行委員会が学会事務局と緊密に連絡を取りながら進めていくものである。現在、関西社会学会の事務局は同じ京都大学の文学部社会学研究室にあり、しかも私自身が「事務局担当理事」(事務局の責任者)でもあるため、連絡の緊密性を確保する点、および事務局から多くのサポートを得られる点で、非常に有利であった。もし事務局が遠隔地にあれば、ホスト校の負担ははるかに大きなものになったに違いない。
ただ、実行委員会の一員としてではなく事務局担当理事としては、今回の大会の準備に関してはいくつか大きな反省点があったのだが、このブログはそれについて述べるべき場ではない。以下の記事は、もっぱら前者の視点からのものである。
会場の確保
大会会場の準備は約1年前からスタートした。同じ時期には他のいくつかの学会も京都大学での大会開催を予定しているはずなので、なるべく早めに建物を押さえ、日程を決定しなければならなかった。
今回、会場となった吉田南総合館の北棟は2004年に新築されたばかりの校舎であり、教室数や最新の設備、そして受付や控室に充てられるフリースペースなどの点で、大会会場には最適の空間である。春や秋の学会シーズンには、ほとんど毎週末のように、さまざまな学会の大会がここで開かれている。ちなみに、私自身の研究室もこの建物の4階にあるので、「地の利」という点でも有利であった。
4月はじめの理事会で大会プログラムが決定すると、そのプログラムにあわせて部屋割りの作業をおこなった。最も多くの会場を必要とする自由報告は、第1日が12部会(これまでで最大)、第2日が11部会となったので、まず12の講義室をそれらに割り当てた。シンポジウム、総会、受付、会員控室等についても同様の部屋割りをおこない、会場配置図を作成して事務局に送ったのが、ちょうど大会1ヶ月前であった(この配置図が、当日配布の報告要旨集の冒頭に掲載されたものである)。
物的・人的資源の動員
会計担当者の仕事のメインは、与えられた予算の範囲内で、大会運営のために過不足のない物的・人的資源の動員を計画・実行することである。
物的資源は、さらに施設・設備――すなわち大学の建物・設備――と、さまざまな物品とに大別される。
両者のうち予算的に大きな圧倒的にウェイトを占めるのは前者、すなわち大学の施設使用料である。これは各教室ごとに時間あたりの使用料が決まっているので、なるべく最小限の出費で済むように、準備・後片付けに要する時間をよく計算し、各報告会場や会員控室・大会本部などのタイムテーブルを組まなければならない。
さまざまな物品は、大会予算で購入するもの(文具、控室用のコーヒー・紅茶、紙コップ等)だけでなく、大学の事務局から借りるもの(立看板や案内板、机・椅子など)、学会事務局で調達してもらうもの(報告会場用のベル、会員・スタッフ用の名札など)、そして自前で作成するもの(会場内の貼紙、懇親会費の領収書、クローク用の引き換えカード等)と、きわめて多岐にわたる。
これらは予算的には少額ではあるが、細々とした物品のチェックリストを作成し、準備万端整えるための情報管理はきわめて重要であり、地味ではあるが会計担当者の手腕が最も問われる仕事といっても過言ではないかもしれない。
なお物品に関しては、かつての学会大会との大きな違いとして、報告会場でのプレゼンテーション用ノートPCの準備がほぼ必須となったという点がある。今回の大会では、自由報告第1日の12部会中11部会、第2日の11部会中10部会で、プレゼンテーション用PCを使用することになった。
プロジェクタやスクリーンなどの周辺設備は、報告会場となるすべての教室に設置されているが、計11台のノートPCはこちらで用意しなければならない。結局、私の所属する人間・環境学研究科の社会学関係の院生研究室から5台、事務局のある文学部社会学研究室から3台、そして足りない3台は、非常勤講師への貸し出し用のものを大学事務局から、それぞれ借用することで、なんとか台数を確保することができた。
人的資源とは、主としてアルバイトの院生たちのことである(われわれ実行委員の教員も人的資源に含めるべきかもしれないが、その組織運営は会計担当者の専担事項ではないので、ここでは触れないことにする)。
アルバイトに関して、最初に必要なのは、受付・会場係・会場案内・クローク等々の各役割ごとに、会場内のどの場所に何時から何時まで、どれだけの人員が必要かということを、上述のタイムテーブル上に書き込んでいき 、必要な人員数を確定する作業である。
ついで、学内の社会学関係の各研究室に依頼し、アルバイト院生の募集をおこなった。学部学生ではなく院生に限ったのは、院生たちにとって学会の裏方仕事を経験することは、「舞台裏」から「舞台上」のパフォーマンスをサポートしつつ冷静に観察する機会を得るという意味で、近い将来「舞台上」に立つべき研究者としての貴重な経験にもなるはずだという考えからである。
メンバーが確定したら、タイムテーブルを参照しながらアルバイトのシフト表および各役割のマニュアルを作成し、大会直前(前々日)にはアルバイトの院生諸君を集めて説明会を開催して、当日に備えた。
新型インフルエンザ問題
ところで、大会を目前にしてにわかに暗雲を広げたのが、例の新型インフルエンザ問題である。
個人的には、今回の日本での騒動はいささか過剰反応の感が強く、現実の脅威への対処というよりは、行政システムのリスク管理能力のデモンストレーション、あるいはいつか来るべきより本格的な脅威に備えての予行演習が行われているかのような印象がどうしても拭えなかった。さらにいえば、今秋までには必ず行われる総選挙への意識が、政府の対応の中に見え隠れしていた、というのは穿ちすぎた見方だろうか。
しかしそれはともかく、リスクへの対処の流れがすでに社会的現実として共有されてしまっていた以上、それを無視するわけにはいかなかった。大会を週末に控えた5月18日(月)から始まる週、隣接する大阪府および兵庫県では、すでに大半の中学・高校・大学が一斉休校の措置を取っており、京都市での感染者発生も時間の問題という状況となっていた。
こうした事態を受けて、大会実行委員会の緊急ミーティングが開かれた結果、大会は予定通り開催に向けて準備するが、京都大学が休校措置を発表した場合は大会は中止とせざるをえないということ、最新の情報は逐次、学会ホームページに掲載するという結論でまとまった。それは、可能な限り会員の権利である研究発表の場を確保したいということ、また、万一中止・延期という事態になった場合、再度会場を確保することの困難さが予想されたことを重視した結果である。この結論を受け、事務局ではただちに5月19日(火)付で全会員宛に葉書を発送し、上記の対応策をお知らせした。
21日(木)、京都市でもついに感染者が発生し、翌22日(金)には、京都府からの休校要請を受け、京都市内の多くの高校・大学が1週間前後の休校措置を発表する事態となった。しかし京都大学では、学内の感染症専門家を中心とする対策チームによる協議の結果、当面は休校措置は取らないことが決まり、これに沿って、大会準備も予定どおり進められた。
懇親会中止へ
ただ、大きな問題となったのが、 懇親会の開催についてである。全学としての対応とは別に、学内でこの大会と同じく週末に予定されていたイベントのいくつかは、すでに中止が発表されていた。こうした状況をにらみながら、大会前日の22日(金)、再度の緊急ミーティングが開かれた結果、残念ながら懇親会は中止という結論を出さざるをえなかった。
懇親会は、研究報告やシンポジウムとはまた別の意味で、研究者にとっての「舞台上のパフォーマンス」の場であり、とくに大学院生等の若手研究者にとっては、貴重なソーシャル・キャピタル(社会関係資本、いわゆる「人脈」)づくりの場となるはずのものである。その意味で、懇親会の中止は実行委員会として苦渋の決断であった。
懇親会中止が決まったのが大会前日の夕方というぎりぎりのタイミングであったため、その告知は23日(土)、大会第1日当日の受付周辺での貼紙でのみおこなわれた。ホームページでの告知は事後となったため、当日夕方に直接に懇親会場へ出向き、そこではじめて中止を知って驚いた会員もおられたということを次の日に聞いた。この件は、会員への情報開示の迅速性・徹底性(その意味での誠実性)に欠けていたといわざるをえず、大会終了後、実行委員会と事務局の合同で対応を協議した結果、学会ホームページに「お詫び」の文を掲載することになった。
大会当日
こうした流動的な状況の中で迎えた23日(土)、24日(日)の大会当日、最も危惧されたのは、参加者数の急減という事態であった。
結果的には、第60回大会への参加者は、一般会員・臨時会員を合わせて357名であった。比較のため、最近、同じく京都で開かれた大会の参加者数をみると、2007年の第58回大会(同志社大学)では384名、2004年の第55回大会(佛教大学)では421名(ちなみに、これが過去最大の参加者数)であったから、357名という数字は、やはり若干少なめであったといわざるをえない。しかしながら、同じ日程に京都大学で開催された他学会の大会では、参加者が例年の約5分の1にまで急減したというから、関西社会学会大会は、この状況下では、まずまずの盛況であったとみるべきだろう。
懇親会の中止という大きな出来事はあったが、それを除けば、2日間の大会はなんとか大過なく幕を閉じることができた。この場を借りて、会場に足を運んでくださった会員・臨時会員の皆さん、しっかり「舞台裏」を支えてくれたアルバイトの院生諸君、そして実行委員会の先生方と学会理事会・事務局の皆さんに感謝を申し上げ、稿を閉じることにしたい。